南大阪の住民から見た伊丹空港
Ashは関空(関西国際空港)まで電車で15分ほどの距離にある町に住んでいて、仕事で全国へ出張する際には関空を利用することが多い。
電車や地下鉄を乗り継いで北大阪にある伊丹空港(大阪国際空港)や新大阪へ向かうことに比べれば、わずか15分で到着できる関空を利用するほうが遙かに便利だ。
ところが、その関空の利便性が開港当初に比べてかなり低下してしまったのが、とても辛い。
このブログは出張先の横浜郊外のコーヒーショップで書いている。
ここでの仕事は11時ごろには終わる予定だが、その直後に京急電車で羽田空港に向かっても12時発の関空行きには間に合いそうもない。
その次の関空行きのダイヤを調べると、20時ごろまで便がない。なんと、東京と大阪を結ぶ幹線であるにも関わらず8時間もの空白が存在する訳だ。
もっとも、他社の便を利用すればもっと早い時刻に関空に戻れるのだが、同じエアラインで東京~大阪を往復すればビジネス割引きで安く乗れるのに、倍近くの通常料金を払ってまで他社の便に変更する気には成れない。
■お昼のゴールデンタイムの関空行きの便は皆無に近い
かつて、関空からもたくさんの国内便が飛んでいた。
しかし、航空燃料の負担が多いことや大阪市内を含む北大阪住民の利便性を重視してか、ビジネス客の多い羽田便などは朝と夜の数便ずつを残して大部分の便が伊丹にシフトされてしまった。
さらに、使用する機材も小型化されて、すぐに満席に成るために予約が取れないことも多い。
今回の出張でも不承不承ながら伊丹からいくつかの電車を乗り継いで関空近くの自宅に戻ることに成るはずだ。
Ashには姉が居て、伊丹空港の着陸コースの真下の豊中市に住んでいる。
騒音公害で伊丹空港の廃止運動が盛んだった頃、姉宅でくつろいでいる最中に頭上を低空で通過する際の爆音と振動には驚かされたものだった。
■豊中市上空を低空飛行で通過する着陸機
住宅密集地の上空を頻繁に飛行機が通過する怖さに加え、防音のための二重サッシを締め切っても会話が遮られる不便に耐えかねて『空港出て行け』の運動が起こったのは当然だろう。
その後の経緯は周知の通りであり、国土交通省は騒音公害の無い泉州沖の海を埋め立てて新空港を建設することに決めた。
新空港の計画では単に海を埋め立てて空港を造っただけではなく、空港関連企業や各種関連施設の建設用地として対岸にりんくうタウンが造成されたし、航空会社や関連企業の従業員の住宅需要を想定して、空港埋め立ての土砂を削り取った跡地に大阪府が1300億円の費用を投じて阪南スカイタウンも造成した。
当然、これらの事業は伊丹空港のすべての機能を関空に移転することを前提として計画されたものなので、いざ関空の事業が本格化された後で手のひらを返したように興った伊丹空港存続運動によって空港機能の移転が部分的に成り、様々な面で歯車が狂ってしまったわけだ。
■いつもガラ隙きの空港特急ラピート。鉄人28号も泣いている。
現在、空港対岸の泉佐野市を始めとして、南大阪の多くの自治体が関空バブルがはじけたために危機的な財政運営を余技なくされている。
実際、りんくうタウン駅周辺の地価は、この十年で三分の一以下に下落してしまったし、阪南スカイタウンもまだ半数が売れ残っているありさまだ。
関空バブルのとばっちりを受けたのは自治体だけではなく、地域の住民の多くは関空バブルの際に購入した狂乱的な価格の土地やマンションのローンの支払いで辛さだけが残された人生を送らざるを得ない。
こうした状況に置かれた南大阪住民にとって、伊丹存続派の人々の言動は身勝手で理不尽なものに思えるわけだ。
何しろ、騒音公害の無い場所という条件で遙か泉州沖の大阪湾を埋めて造った関空なのだから、伊丹に比べて交通アクセスが悪いことや莫大な建設費用の返済のために空港利用料が高いのは当然なのに、今さら『うるさい危ない空港は出て行け』と猛反対していた舌の根も乾かないうちに航空便の囲い込みに躍起になり、果てには国際便を復帰させる案までちらほらしている。
■対岸のゲートタワーは双子の高層ビルが連絡橋を挟む計画だったのに。
今さら伊丹の完全閉鎖を強行するには問題が多いが、せめて関空の存続を最優先したバックアップ空港として存続する道は選べないものだろうか。
北大阪方面や阪神間の住民には関空がどう見えてるのかを、ぜひ聞かせてほしい。
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