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2008年3月

2008年3月21日 (金)

エンジニアのエスプリ

SF映画史上に残る名作として名高い『2001年宇宙の旅』の原作者、アーサー・C・クラーク氏が、彼の第二の故郷であるスリランカで他界したことを数日前のニュースで知った。
スタンリー・キューブリック監督の手で映画化されたこの作品は、『難解、理解不能』と酷評されることも有ったが、送り手の意図の一つに人類の英知を超越した何らかの存在の示唆が在ることは明白だろう。

Ashはこの作品の強烈なファンであり、この作品を見た回数が映画館とDVDを合わせると数十回にも達するが、およそ半世紀近くも前に制作された作品であるのが信じられないほど完成度の高い名作である。

この作品の主役とも言える存在が、宇宙船ディスカバリー号のすべてをコントロールする巨大な人工頭脳『HAL』と、謎の漆黒の長方体『モノリス』だろう。

Chandra_edited1映画の話題から逸れるが、Ashの手元に一台の古びたノートPCがある。
このPC、おおよそ10年ほど前に日本IBM社やリコー社の技術者の手で企画と開発がされたが、製造台数も販路も限定されていたために、その存在を知る人は極めて少ない。

『チャンドラ』と呼ばれたこのPC、CPUスペックや記憶容量などでは現在の市販機より見劣りするものの、B5サイズのボディにCFスロットx3、USB,FD,シリパラやオーディオなど多様なインターフェースが装備されたモデルは、当時としては画期的かつ先進的な存在であり、玄人筋からは高い評価を受けていた。『チャンドラ』の外観は、『2001年宇宙の旅』の主役の『モノリス』に酷似しており、この商品を企画したスタッフの多くが、かのSFの名作の影響を強く受けていたことを連想させる。

さらに驚いたのは、このPCのマザーボードの名前が『クラビウス』であること。
そう、『クラビウス』は『モノリス』が発見された月面基地の名前であり、『チャンドラ』は人工頭脳『HAL』の設計者であるチャンドラ博士のことですね。

昨今は先端技術の面で新興諸国に追い上げられ追い越されて苦悩する日本ではあるが、今後も『チャンドラ』の技術者たちのようにエスプリと余裕を感じさせてくれる商品を生み出して欲しいものである。

蛇足ながら、『HAL』の名前はコンピュータ業界のガリバーであるIBM社のイニシアルを一字づつ前に進めたものである。つまり、IBMよりも一歩前に進んでいる技術ってところだろうか。

コンピュータソフトの世界でも、思わずにやりと笑わされるエスプリを感じたソフトが在った。
かつて、パソコンがMS-DOSであった時代、カノープス電子という会社がコマンド形式でグラフィックを描画するドライバを販売していた。
このソフトはかなりの優れものであり、カノープス電子のエンジニアのスキルの高さには一目置いていた。
ある日、いつもどおりにEGR98を起動すると、『このコンピュータはあと○○秒で爆発します』との警告が表示され、あたふたとしていると『エープリル・フール』と表示された。

そうか、今日は4月1日だったんだ。

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2008年3月17日 (月)

嗚呼、思い出の横浜黄金町

京急線で横浜駅から三つ目の駅、黄金町。
この界隈、今では高層マンションが立ち並ぶ住宅街ですが、かつては横浜スタジアム近くの寿町と並ぶ日雇い労働者の街(ドヤ)でした。
まあ、大阪では釜ヶ崎、東京の山谷のような街ですね。
Ashは、数日前からこの駅に近い某大学病院の仕事のために駅前のホテルに宿泊中なんですが、今朝は線路を挟んだ向かい側の旧ドヤ街を散策して来ました。

Dsc03486_3 ■今でも旧青線地帯(私娼街)の名残りを強く残している。

実は、この黄金町には古くて甘酸っぱい思い出があるんです。
40年ほど前、Ashは愛知県の某大手自動車関連メーカーに就職しました。
その工場にはたくさんの若者が働いていて、お昼休みには敷地内の公園は若者たちで埋め尽くされていました。
地方から出てきたばかりのAshには友人も少なくて、おおむねベンチで独りでボーっと本を読んでることが多かったですね。
ある日、そんなAshにJunと呼ばれている女の子が声をかけてくれたんです。
Junのことは余り知らなかったけど、同僚たちの話を総合すると、年齢はAshより少し上らしく、近隣の暴走族のマドンナ的存在だったようです。
その後、Junとは何回か食事をしたり、彼女が運転するベタベタに車高を落とした改造車でドライブしたりしたんですが、その工場でラインに立って一生を過ごすことに疑問を持ったAshは、その夏に退職して大阪の会社へ再就職しました。

その当時は携帯電話もメールも無かったので、Junとのコミニュケーションの手段はAshが暮らしてた独身寮の公衆電話からJunの自宅へ電話するか、文通くらいに限られました。

「わたし、学校の勉強は嫌いだったから」と謙遜するJunから届く手紙の文字は、お世辞にも上手とは言えなかったし、誤字や脱字ばかりだったけど、彼女が暴走族仲間にも話したことの無いだろう心の奥底や、彼女の暗い生い立ちなどを一生懸命に書いてくれました。
名古屋と大阪という遠距離の交際ながら、数ヶ月に一度程度はお互いの本拠地を訪ねあってのデートもしました。


Dsc03485_3 ■人間用セルフコインシャワー、なんのこっちゃら。でも、いかにもドヤ街らしいビジネスでもある。

ある日、Junから「わたし、本当はJunじゃ無くってスンジャなんだ」と告られました。
「えっ、それってどんなこと?」と聞いたAshに、両親は北朝鮮籍であり、実の母親はJunが小さい頃に離婚して消息不明なこと、将来は北朝鮮に移住するかも知れないことなどを教えてくれました。
たとえ本当の名前がJunで無くっても、AshにとってはJunそのものに変わりが無いことを答えると、すごく喜んでくれたJun。
でも、表向きには強がりで暴走族のマドンナの彼女が、ふとした瞬間に見せる陰りの理由が少しは解かったような気がしたAshでした。

たまには、時の経つのも忘れてお泊りすることも在った二人だったけど、「わたしたち結婚してないんだから、変なことしたら駄目だよ」と諭されて、素直に「うん」と従う純真なAshちゃんでした。
「なんであの時にケダモノに成っとかへんかったんやろ」と後悔したことも在るけど、子供どおしの関係だったからこそ今でも美しい思い出として残ってるんだろうな。

Dsc03488 ■朝の大岡川ではカモメが朝食の餌探しで忙しそうだった。

その年の大晦日、会社の独身寮で一人寂しくテレビを見ていたAshにJunから電話が在り、「お母さんが見つかった。横浜の黄金町という街のホテルに居るらしい」、「いますぐ会いに行きたいんだけど、一緒に行ってくれる?」とのJunの言葉が終わるのももどかしく、愛車のホンダN360ツーリングスポーツを愛知県に向けて駆ったAshでした。
ツーリングスポーツとは言っても、わずか牛乳瓶2本ほどの容量しかないKカーなので、名神高速をぶっ飛ばしたときのエンジンの音が悲鳴に聞こえて、少し可愛そうだったことを覚えてます。
Junとは高速道路のインターチェンジで落ち合い、そのままAshのN360で横浜へ向かった二人。車中では普段のように軽口を交わすことも無く、時折り覗いたJunの横顔はとても緊張してて、今にも泣き出しそうだった。

まもなく新しい年を迎えようとする時刻に、お母さんが居るらしい黄金町のホテルに到着。Ashは車に残り、Jun一人でホテルのフロントに向かった。
Junが戻るまでの時間はとても永く感じたが、おそらく10分程度だったろう。うつむき加減で、とぼとぼと車に戻ってきたJunの顔は蒼ざめていて、目からは大粒の涙がこぼれていた。
どうやら、お母さんは数日前にこのホテルをチェックアウトし、どこか遠くの飯場へ行ってしまったらしい。
飯場の名前や場所は誰も知らないらしく、もうお母さんを探す手がかりも無くなってしまったJun。
二十年近くもこの日を夢に見てきた彼女にとって、とても残酷で辛い大晦日だったに違いない。

Dsc03484 ■40年も経てしまった今、どこが思い出のホテルだったのか見当もつかない。

Junとはその後も何通か手紙を交わしたが、ある日の夜に彼女の継母からAshに電話が掛かってきた。
「娘は北朝鮮籍の人と見合い結婚させます。あなたたちが好き会ってるのは知ってるけれど、日本人と朝鮮人が結婚しても子供たちには国籍が無いんだよ。だから、あなたは娘と別れなさい。」と。
電話の向こうで、Junのすすり泣きが聞こえた。今のAshならば色んな反論を言う知恵も勇気も在っただろうが、その当時の素直で弱いAshには、お母さんに対する反論の一言も言えずに電話を切ってしまった。

その後、風の便りでJunは北朝鮮籍の人と結婚したと聞いた。結婚相手はとても暴力的で、Junはあまり幸せで無いらしいとも。
Junの消息はそれっきり途絶え、はたして彼女が今も日本で暮らしているのか、北朝鮮へ渡ったのかも知るすべは無い。
もし、どこかで生きているのなら幸せであって欲しい。

Dsc03489 ■かつては、このヌード劇場も労働者たちの熱気が溢れていたんだろうか。

今では、むくつけきメタボ親父に堕ちてしまったAshだけど、実はこんな純真無垢な一瞬もあったんですよー。

話変わって、井筒監督作の「パッチギ」に出演してたキョンジャ役の沢尻エリカちゃんは、Junとの思い出をオーバーラップして見て来ただけに、例の「別にぃ」発言はかなりのショックだったな。

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2008年3月11日 (火)

カーと鳴いたカケス

この冬は、1月に続いて二度目の野幌森林公園訪問です。
■百年記念塔
Dsc03470 この公園は札幌市からも近いし、四季を通じて多くの鳥たちに会えそうな予感がして、Ashの「お気に入り」に加わえました。
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■適度に整備された、とてもきれいな林です。
Dsc03471_2100-400ズームを担いで公園を探索していると、目の前に一羽のカケスが留まってくれました。居合わせた地元バーダーの方と「逆光なので写真は辛いね」などと話してたら、そのカケスの方角から「カー、カー」と言うカラスの鳴き声が。

■今回は写真は撮れなかったので1月のネタです
Jay 目を凝らし見直しても、声のする方角にはそのカケスしか居ないので不思議に思っていると、カケスくんは隣の樹からまた隣の樹へと移動し始めました。すると、どうでしょう、「カー、カー」もカケスと一緒に移動するではありませんか! これは驚きました。
確かに、何かの書籍でカケスは鳴きまねをするとは見たような気がしますが、これほど上手に真似るとは凄い。
どんな声でも出せるんなら、あの「ギャー、ギャー」という西岡すみ子の悲鳴のような鳴き声は止めて、可愛い鳴き声にすれば良いのにね。

■大赤ゲラくん
Img_7093 この日の初物は大赤ゲラです。比較対象物が無かったために普通の赤ゲラに比べて大きいのかどうかは解かりませんでしたが、胸の縦じまが灰色と緋色のグラデーションなのが、とても印象的でした。
Ashの地元の紀伊半島にも生息するらしいけど、これが初見でした。

■エゾフクロウが来ることがあるウロ
Img_7100 エゾフクロウが来ると言われているウロにも立ち寄ってみましたが、今回は坊主でした。
その後はウトナイ湖に回ったのですが、特筆するべき収穫も無くて、羽田に向けてホッカイドーを発ったAshでした。

■ウトナイ湖で見たヒヨドリ
Img_7150_2 彼らの環境適応能力は凄いですね。ほとんど日本中で見かけます。
私も同類か(笑)

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2008年3月10日 (月)

長期出張で鼻血ブーの訳

Ashは以前から出張が長期間に成ると鼻血がでます。
とは言っても噴水のように噴出す程ではなくって、チーンするとティッシュに血が点く程度なんですが。

若い頃は、男性のナニが溜まり過ぎて鼻血がでるんかもと思ってたけど、半分ほど枯れた年齢でも状況は変わらないのが不思議でしたね。
S1 今回の出張は関東一円と北海道の計5箇所を20日間連続出張の予定なんですが、出張開始早々に風邪を引いてしまい、大好きなバードウォッチングも控えぎみに、仕事先とホテルベッドの往復生活が続いてます。

ほとんどのホテルで言えることは、掛け布団の厚みが申し訳程度しかないこと。
その為に、この季節に暖を取るにはエアコンを運転するしかありませんよね。
一晩中エアコンを動かしてると空気がとても乾くので、のどはヒリヒリするし、目や鼻などの粘膜系へのダメージは大きいです。
S2 予防措置としてバスタブに熱湯を張っておいたりはするものの、やはり苦しいですね。
そこで気づいたのが、永年のミステリーと成ってた長期出張鼻血ブーの原因がホテルのエアコンで粘膜を遣られてしまうためってこと。

やはり我が家の暖かい羽毛布団でぐっすり眠りたいな。
そんな訳で、今週の半ばには一日だけでも大阪帰りをしたいと夢見てるAshでした。
■河口湖あたりからの富士山
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■羽田から千歳への機上から東京の街を見下ろす
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■千歳到着直前に見えた冬の勇払原野
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■野幌森林公園の開拓百年記念塔
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